着物をデザインするようになったきっかけ
京都造形芸術大学の美術工芸科染織コースに入学後、
19歳になった時に成人式で着る振袖を自分でデザインしたいと思ったんです。
やると決めたら、とことんまでやりきる人間。
協力して貰える悉皆屋さんと出会い、
デザイン画を片手に着物を作る職人さんの工房を一軒一軒まわりました。
※悉皆屋=しっかいや
:着物制作の現場工程を指揮することを仕事とする
約半年近く、分業された何十もの工程をたどり、
職人さんの手作業を間近にみながら、自分の着る振袖を作り上げたんです。
それが、この「幻灯」です。
ずっと、職人さんの工房に入り浸って手作業を見ていると、
自分が一生かかっても真似出来ひん、素晴らしい技術を
持っていらっしゃることを実感しました。
職人さんにも色々いらっしゃって、
全然しゃべってくれない職人さんとかもいらしたんですけど、
世間話したり、息子さんがどうの…
なんて職人さんの愚痴聞いたりしながら、
でもしっかり私のデザインをより良い形で実現させる為に
試行錯誤して下さって、一日一日に発見があって楽しかったんです。
ただその一方で、現実を知ることにもなりました。
どの職人さんも自分の息子さんに継がせることは考えてなくて、
自分の代で終わることになるんやろうって。
こんなに素晴らしい技術がここで途絶えてしまうんかぁって思うと、
やっぱり辛かったし、今もその気持ちは変わりません。
成人式を機に着物を作ってからの創作活動
成人式の振袖を作ったことで、
いつか協力戴いた職人さんたちと一緒に仕事が出来るような
デザイナーになりたいと思ったんです。
それから、着物をキャンバスに、
訴えたいメッセージを込めて制作するようになりました。
型染めや友禅染、インクジェット染など技法も色々使い分けながら、
斬新なデザインに取り組んだんです。
そんな中、大学3回生の頃になって着物のショーをやりたいと思い立ち、
新風館の方々に協力を得て、ファッション京都推進協議会の着物ショーイベント
KYOTO BRAND Fashion Theater 〜 NOW JAPAN 〜 舞・DREAM を企画しました。
自分がプロデューサーになって、100人以上のキャスト・スタッフを
まとめ上げながら、アーティストとしても10着の着物をデザイン制作し、
新風館で大々的に着物のショーをやりました。
この時も、振袖を作りたいと職人さんのところに押しかけた“あの勢い”と
同じでしたね。
※新風館:京都の四条烏丸近くにある商業施設。
BEAMSなどのアパレルショップをはじめ、インテリア・雑貨・飲食店などがある。
その時に作った作品や成人式の着物をポートフォリオとして、
就職活動の時にいろんな企業に持って行きました。
普通、面接が終わったら持って帰ってくるんですけど、
何かのきっかけにつながるんやないかと思って、
全ての会社にポートフォリオを置いてきたんです。
それが実際に映画「さくらん」の仕事を受けるきっかけになりました。
卒業後、別の会社に就職したわたしに、
ある日、京朋株式会社から電話がかかってきたんです。
一ヶ月半で32着もの衣装を制作
まず、「さくらん」の映画監督を務めた蜷川監督の世界観がわかることが前提。
その上で、時間がない中で必然的に選ばざるをえない、
インクジェットでの染めにも対応できること。
さらには、染めのためのデータもMacで作れて、
工場との色の指示・やりとりもこなせる。
確かにわたしならできると思いましたが、
ものすごいプレッシャーも感じましたし、緊張もしました。
でも、お金を出してでもやりたいデザイナーはたくさんいて、
こんなチャンスは二度とないって思ったんです。
京朋株式会社から電話を受けるや会社に確認もせず「やります!」と。
翌日、その時の会社に謝りました。
京朋株式会社には出向という形で在籍し、制作することになったんです。
今思えば、映画「さくらん」の仕事を引き受けることができたのは、
学生の時の自分の経験があったからやと思います。
職人と直に話をし、試行錯誤を繰り返しながら
共に納得のいく作品を作りあげたあの半年が、
「自分にならできる、絶対やり切れる!」という自信を、
あの時の私に与えてくれたんです。
とにかく、「さくらん」の制作スケジュールはヘビーでした。
「さくらん」の撮影はもちろん都内で行われていたんで、
スタイリストの伊賀さん、杉山さんと直接打ち合わせができたのは一度だけ。
デザインから染めまでの工程をほぼ一人でこなす毎日。
デザインしながらパソコンの画面を、ケータイで写真に撮って
撮影現場にいるスタイリストさんに送るというのを何度も繰り返しました。
でも、写真なんでどうしても微妙な色がつかめなくて、
ある時、伊賀さんに「ポカリスエットの青です!!」って言われて、
コンビニにダッシュしたこともありますよ。
一度の失敗も許されない極限のプレッシャーの中で、
ベテランの職人さんとガチンコで、もう必死で作り続けました。
やっぱり職人さんには今までの着物としての固定概念があって、
こっちが求めているよりも大人しく染めてしまったり。
「これやったらあかん!もっときっつい色でいいんですよ!!」って、
目上の職人に向かって、失礼を承知で何度も言いました。
とにかく、ギリギリの毎日を一ヶ月ほど繰り返し、
全部の染め具合の確認ができたところで東京の現場に合流しました。
Dia horama の立ち上げに至るまで
「さくらん」の仕事が終わった後、
結局、前の会社を辞めて京朋株式会社にお世話になることになりました。
そこで自身のブランド「Dia horama」を立ち上げることになったんです。
「Dia horama」は、ギリシャ語でジオラマ。
着物の守るべきもの、変化させるべきものを踏まえた上で、
気軽な一つのファッションの選択肢として若者に向け発信していくブランドです。
街に自分のジオラマ(理想像)を描きたいというコンセプトで
制作を行っていることから来ています。
わたしの理想は
「“現代”のオシャレ、(メイク、ヘアカラー、ピアス、ネイル)などを
ふんだんに楽しんで、若者からお年寄りまでが、それぞれの個性を出した
スタイルで着物を着て街を歩く姿」です。
今までの、時代時代…着物は最先端のファッション。
それぞれの時代での流行柄や、流行色があり、最高のオシャレをしていました。
なので、「今」の流行になるような柄やデザインを起こして行ければと思い
立ち上げたんです。
今の時代、流行、街並み、人々…全てを含んで、着物の描く情景が、
面白いものになればと思います。
着物をキャンバスに表現しようとするものとは?
わたしがアーティストとして「作品」を創る上で、
ずっと追いかけているモチーフは人間、人の影です。
太陽の下に出ると、現れる影。
足元だけはくっついたまま、ずっと自分に付いてくる影。
大勢の人が行き交う中、影だけを注目して見ていると、
地面にミステリアスな別の世界が映っている気がして、
私にとって、不思議で魅力的なモチーフなんです。
そんなモチーフに乗せるテーマは、現代に生きる人に対して
「これでいいのか」というメッセージです。
決して美しいものだけでなく、現代に忘れられている人間らしさとか、
戦争とか人間同士が起こした理不尽な出来事をテーマにすることもあります。
本当はしっかり見ないといけないのに見ようとしていない、
思い出したくない事を問いかけています。
でもそんなテーマやからこそ、「怖い、ドキッとさせるもの」を
デザイン的に出来るだけ「綺麗」に表現しようと努めています。
もともと、白黒のものがずっと好きで、
始めは、漠然と理由も分からず人を追いかけながらものを制作していました。
きっかけかどうかはわからないんですけど、
小2の夏に、YMCAのプールに通っていて、ちょうど終戦記念日のあたりに、
プールの終わりにいつも行く自動販売機までの間にヒロシマの写真が飾って
あったんです。
ちっちゃくて何かようわからんかったんですけど、
何かとても怖いものの中を、通っている感じがして、
ずっとその情景が自分の中でひっかかり続けてるんですよね。
人の影を追いかけることになった自分の根源的なきっかけは、
そこにあるような気がしてます。
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